その21.

アパートでの暮らしは余り楽しくなかった。
マミーは車の運転をしなかったので、ダデイが帰って来るまで、1日中家の中
に居なければならなかった。買い物も一人ではいけないんだ。
だから、アパートの敷地内を僕たちを連れて散歩する以外は、テレビを見てい
た。
しかし、マミーはアメリカのテレビでやっているトークショーの程度の低さに
ビックリしたようだ。
一人で、バカじゃないの、信じられない!とテレビに向かって毒ついている割
には、熱心に見ていたみたいだけど。
「まったく、この国の人達は頭がいいんだか、バカなんだか。こんなテレビを
毎日見ていたら、脳みそが腐っちゃう。買い物も一人で行けないし、車買って
よー」
とダデイに車を買ってくれるようにおねだりを始めた。
マミーは20年前に車の免許を取ったけれど、初めの頃に2回だけ車を運転し

た事はある、20年間一度も乗っていないという凄く危ないドライバーらしい。
でも、ダデイが仕事から帰って来るのを一日中待っているのはかなりストレス
が溜まるみたいだ。

ある日曜日、ダデイとマミーは車を見に行ったんだ。
僕たちもダデイの車に乗って、一緒に行った。ダデイの車はフォードのSUV.
マミーはとにかく、僕たちを乗せて走り回る車が欲しくて、小さいSUVが欲
しかった。
ダデイは予算は1万ドル。それ以上は出さないと決めていたので、中古車を買
う事にした。
丁度、その店にはスズキのサイドキックというSUVみたいな車があって、前
のオーナーが3000マイル走って、もっといい車が欲しくなり、店に戻した
車だった。
マミーは試運転してみると、ゴルフカートを運転しているみたいだと、すぐに
気に入った。それからが、長かったんだよ。僕たちは車の中で待っていたけれ
ど、2時間はたっぷりとセールスマンと値段の交渉だ。
後で、マミーたちが車の中で話しているのを聞いたのだけど、初めセールスマ
ンの人は14500ドルと言ったのに、ダデイは1万ドルと言いつづけ、2時
間粘って、11000ドルまで下げさせたんだって。
マミーも、「全く、初めの言い値と3500ドルも違うわ。一体、あのセール
スマンは幾ら儲けているのかしら」と言っていた。
これで、僕たち専用車が出来た。後ろの座席は板を入れて、その上にマットと
ブランケットを乗せて、僕とチチが寝そべるようになった。
マミーは他の人達を乗せる事は全く考えていなかったので、全くの僕とチチ専
用車だ。
車が来てから、マミーは僕たちを乗せて、ショッピングや森に散歩に出かけら
れるようになったんだ。

でも、ある晩、いつもの様に夜の10時に寝る前の散歩に出かけると、暗がり
に車が停まっていた。古いリンカーンコンチネンタルとかいう車だ。
トップはビニールがハゲハゲにはなっているし、車体も錆びている。
マミーは嫌な顔をしていた。
車から若いヒスパニックの男が出て来て、誰かを待っているようだった。
でも、アパートに住んでいる人じゃない。
マミーは凄く緊張して、その前を通り過ぎて、僕たちは大急ぎで部屋に帰った
んだ。
「ダデイ、変な車が停まっているの。ドラッグの売人かもしれない。ああいう
人達、映画で見た事あるもの。誰かを待っているようだけど、怖くて、大急ぎ
で帰ってきたのよ」
「本当かい?どんな車?」
「古いリンカーンで、今時あんな車誰も乗っていないわよ。錆びてボロボロだ
し。ねえ、早くここから出ようよ。私は毎晩同じ時間にタマタマとチチを連れ
て散歩しているし、暗がりじゃ、おばさんかどうかなんて判らないじゃない。
もしかして、襲われるかもしれないわ。あの部屋の女は同じ時間に出かけるぞ、
なんて待ち伏せされたら、怖いわ。タマタマもチチもおとなしいから、もし襲
われても助けてくれないかも知れないし」
「タマタマとチチを連れていれば、普通は襲わないよ。それに、タマタマもチ
チもマミーの一大事だったら、絶対に体を張って助けるよ。大丈夫だよ」
とダデイは余り心配していないようだった。けれど、その晩以来、マミーはハ
ウスハンテングを始めたんだ。よっぽど、怖かったみたいだ。

ダデイも仕事が順調で、日本の会社の担当になったので、日本への出張も多く
なって来た。また、家探しは、マミーの仕事だ。 
新聞の広告を見ては、週末に家を見に行った。
マミーの条件は1.安全な地域である事。 2.お散歩できる公園や森の近く
。3.絶対に治安が良い事。4も治安が良い事。と条件4つのうち3つは治安が
良い事だった。
ダデイは出張が多くて、一人で家にいる事が多いし、僕とチチを朝早く、夜遅
くに散歩に連れて行かなければならないからだ。
アパートでも、部屋の裏に大きな池があって空き地があり、アパートの犬達は
そこに散歩に来ていたんだ。
でも、街灯も何もないから、夜は真っ暗だ。
ある晩、夜10時にいつもの様に、夜の散歩で空き地にいると、ドドドと凄い
音がして、大きな動物が僕たちに向かってきた。
男の人が何か叫んでいたんだけど、真っ暗でマミーも何が向かってきたのか判
らなかった。段々目が慣れると、子牛みたいな犬なんだ。
男の人はその他に2匹の大きなゴールデンリトリバーも連れていたけれど、子
牛みたいな犬の力が強くて、押さえられないんだ。
マミーは襲われる!とその場に凍りついてしまったけれど、僕とチチはマミー
を守る体勢に入っていた。
男の人はやっと、子牛のようなでっかい犬を押さえて
「すいません、これは息子の犬で、預かっていて、私の犬じゃないんです」

マミーはこんなに大きなおじさんが押さえられない怪物みたいな犬をこんな小
さいアパートで飼うなんて非常識だと思ったみたいだ。
あんな怪物みたいな犬は見た事がなかった。香港のマスチフなんて目じゃない。
立ち上がったらゆうにマミーの身長を越えそうだ。体重は80K位かもっと重
いかも知れない。白に黒の牛みたいな斑点がある犬だ。後で、調べたら、グレ
イトデンという種類なんだって。

とにかく、マミーはあんなのに襲われたら殺されてしまうと本当に怖かったみ
たいだ。
そんな事もあって、少し高くても良い地域の家を買おうと決心したんだ。 
                                             
つづく(次号掲載は3月1日を予定しています)