新しい家

その22

マミーの家の条件は治安が良い所だったけれど、ダデイの条件はゴルフコース
の上に住む事だった。これは、ダデイの夢だったんだ。

デビーさんに友達の不動産屋さんのベスさんを紹介されて、本気で毎日家探し
を始めた。マミーはベスさんに「とにかく、治安が良くて、環境が良くて、ご
近所がいいところで犬の散歩が出来て、ゴルフ場の上」という条件で家を探し
てもらった。

すぐに、ベスさんは「一箇所だけ、条件にピッタリの所がある」と連絡してき
て、マミーは見に行ったんだ。
とても珍しいゲートコミュ二テイといって、敷地を塀で囲んであって、ここに
来る人達はおまわりさんとガードマンのいるゲートでどこどこに行くと申告し
ないと中に入れないんだ。
湖の周りに家がたっていて、ゴルフ場も中にあり、ゴルフ場の回りにも家がた
っている。
マミーは条件にピッタリで、ここだー!とすぐに決めた。
それから、色々な家を見て回ったが、1軒ダディもマミーも気に入った所が見
つかった。
ここは、ゴルフ場の上ではなかったけれど、森の中でプライベートな所ですぐ
に交渉に入ったんだ。 ところが、ダディは25年以上もアジアに住んでいた
ので、アメリカでお金を借りたり、何か大きなもの、例えば車を買うとか、家
を買うなんて事をしていないので、どこにも、お金を借りたレコードがなかっ
たんだ。
そのため、銀行がダディにお金を貸してくれなかった。
交渉はしたけれど、銀行がお金を貸してくれないので、1ヶ月位モタモタして
しまったんだ。
そんな時、マミーは一回香港にグリーンカードの事で戻らなければならなくな
り、日本と香港に2週間一人で行った。

旅行の最中に何だか交渉中の家が嫌になってしまったんだ。
マミーは自分のものになるものや縁のあるものはこんなにモタモタするはずは
ないから、この家はマミーの家にはならないと感じたし、よくよく、考えると
TAXも高いしマネージメント料も高いので、キャンセルしたいなーと思いつつ、
もう1ヶ月も交渉中で今さら、キャンセルは出来ないなーと随分悩んだらしい
んだ。
ところが、香港から帰り、10月のマミーの誕生日にまた、ベスさんから電話
があった。
「御免なさい。私の知らないうちに、交渉中の家は売れてしまったの。また、
他の家が売りに出ているから、見に行きますか?」
マミーは、やっぱり縁のない家だった、断りたかったのに売れてしまい、良か
った!と思ったんだ。そして、ベスさんはマミーを連れて、家を見に行った。
1軒目でこの家を見せてもらい、マミーは即決したんだ。

ここは何と売りに出されてから8ヶ月も売れなかった。これは、マミーは自分
を待っていたからだと勝手に解釈した。価格も8ヶ月前とその時では4万ドル
も下がっていた。
これも、ダディが貧乏だから、神様がまけてくれたんだ、と勝手に解釈した。
何でも、自分の都合の良い解釈をするので、いつもハッピーな人なんだ。
入り口には小さい庭があって木戸で外から隔離できるから、僕たちが外で遊べ
るし、ダディの夢のゴルフ場の上だ。NO2ティの横だ。リビングの前は池だ。
風水上でも、最高だーとマミーは大ハッピーになり、ダディの意見を聞く前に
ベスさんに買うぞーと宣言していた。もちろん、ダディも見に来て、一目で気
に入った。僕たちも気に入った。
こうして、ダディは家を買う事になったんだよ。

マミーは香港で住んでいたボロアパートに3500ドルも毎月払っていたから、
この家のローンが999ドルになって、夢みたいだ。
何てお金の価値が違うのか!としみじみ思ったんだ。
二階建てだけれど、地下室があり、地下室はダディの城になった。
こんな家を日本や香港で買ったら、億万長者じゃなければ買えないし、とても 、
ダディのような普通の人には無理な話だ。アメリカだから出来る事なんだなあ。

とにかく、すぐに銀行はお金を貸してくれて、僕たちはアパートからこの新し
い家に引っ越したんだ。もう、いい加減に引越しは止めて欲しいよ。まったく。

アパートから荷物を毎日運び込んでいると、お隣りのおバーちゃんが出てきた。
リルさんという78歳の未亡人だった。
マミーの心配はご近所の事だった。アメリカでは東洋人が嫌いな人達もいるし、
良いご近所だといいなあと思っていたんだ。
リルさんは凄くフレンドリィなおバーちゃんで、マミーと僕たちを歓迎してく
れたんだ。
良かったよ。本当に。
こうして、ここ、レイク バーリントン ショアーでの新しい生活が始まった
んだよ。
                                          
つづく(次号掲載は3月8日を予定しています)