その89.

今日はマミーの大災難のお話だよ。
今年の3月にマミーはお仕事がてら、お父さんに会いに日本に行ったんだけど、
帰って来ると、香港や中国でSARSという変な聞いたこともないような病気
が流行り出した。
でも、マミーはさっさと帰って来たので、何も病気にはならなかったんだ。
帰って来てから、マミーは大忙しだった。
去年発表した日本の着物アートが認められてギャラリーで展覧会をしたり、そ
れが大きな記事になって新聞にものっちゃったんだ。
その後は、アートのファッションショーのオープニングにマミーの作ったベス
ト6着が選ばれたりとどんどんと大忙しになっていく。
その、新聞に記事が載った時、マミーはガーデンマスターのイルゼさんにビッ
グニュースだから知らせたのだけれど、何も言って来なかったので、まだ、見
ていないのかとコピーをとって、僕たちを連れてお散歩がてらにイルゼさんの
家に行ったんだ。
ドアベルを鳴らすと旦那さんのジョージさんが出て来たので、
「イルゼはいますか?」とマミーが言うと、
「イルゼー、サラが来たよー」と大きな声でイルゼさんを呼ぶと自分はさっさ
と二階に上がり、バンとドアを閉めてしまったんだ。
イルゼさんが来たので、「新聞のコピーを持ってきたけれど、ジョージは機嫌
が悪いの?」と聞くと
「別に機嫌は悪くないわよ。それから、貴女の記事なんて新聞に載ってないじ

ゃない」
テーブルの上には新聞が置いてあった。
「ほら、この1ページ全部。どこを見てたの?」
「ふーん、あら、載っているわねえ」
何だか、イルゼさんの様子がおかしいよ。
「あのねえ、近所の中華料理屋の人が熱出して、病院に行ったら、肺炎だって
いわれたんですって。
お客さん商売や貴女みたいによく、旅行する人はリスクが高いのよね、SAR
Sに掛かる」
と言うと、4Mぐらい離れたんだ。
「あのね、イルゼ。私は東京に行ったの。香港や中国に行ったんじゃないのよ」
「えー、香港に行ったと思ってたわ」
「日本と香港、中国は違う国なの、知ってるでしょう?」
「知らないわよ、そんな事」
その時にマミーはジョージさんが二階に駆け上がって部屋に入って出てこない
のも、イルゼさんの様子がおかしいのも、これは、SARSだと疑われている
という事に気がついたんだ。
「え、じゃ、何?中国人を見たら、東洋人を見たらSARSと疑えって言う
の?そんな、馬鹿な話聞いたことがない。大体、3年も4年も友達していて、
イルゼ、貴女、日本と中国が違う国なの知らないっていうの?冗談じゃな
い!」
マミーは怒った。そのまま、僕とチチを連れて、イルゼさんの家を出たんだよ。
 
そして、次の日の夜9時過ぎにイルゼさんは電話を掛けてきた。
でも、丁度、マミー達は地下で映画を見ていたので電話に出なかったんだ。
映画が終わって、僕たちの寝る前のお散歩に出かけようとしたら、留守番電話
のメッセージランプが点滅している。
「あのイルゼですけど、貴女の所に置いてあるオーブン用のクッキーパンを返
してください。必要なので」
というメッセージだ。マミーはワナワナと震えるほど、また、怒ったんだ。
だって、そのオーブン用のパンは2年も前にイルゼさんが庭の花を掘り返して
持って来た時にのせてきたパンで必要ないからと、ずっと、うちにおきっぱな
しだったんだよ。
マミーは「クソー、人の事をSARSと疑ったら、オーブンパンまで惜しくな
ったのか!」
と独り言を言った。
困ったよ、マミーを怒らせると大変なんだから。

次の日、マミーはザーとパンを洗うと、僕とチチの散歩を兼ねて、イルゼさん
の前のベースボールヤードに行き、ガーデン側のドアの前にパンを置いて帰っ
て来た。

それから、イルゼさんは2日に一度電話を掛けてきた。
マミーは全部無視をして出ない。
ある日、買い物に行く途中で僕のオシッコのために、ベースボールヤードに行
くと、何とイルゼさんがボタンと散歩していたんだ。
僕たちが車から降りて散歩していると、イルゼさんが追いかけてきて、マミー
を遠くから手招きしている。マミーは「ヤダナー、何で追いかけてくるんだよ
ー」と独り言を言うと渋々、イルゼさんの所まで歩いて行った。もちろん、僕
もチチも嬉しくって、イルゼさんに飛びついたよ。
「あのさ、貴女、電話には出ないし、一体なにやってんの?」
「忙しいの」
「忙しい、忙しいって、何よ、アートやっているから忙しい訳?大体、新聞に
載ってちょっと有名になったからって、私はもう友達じゃないっていうの?」

マミーはそれを聞いて、口があんぐり開いたまま、ビックリしてしまったんだ。
そんな事を考えていたのか。
「兎に角、忙しいから」とイルゼさんを振り切って、僕たちを車にのせたんだ。

「もう駄目だな。イルゼとは絶交だ」
もうこうなると、頑固なんてものじゃない。氷の塊になってしまうのが僕のマ
ミーだ。
それからも、イルゼさんは2日起きに電話を掛けて来る。
マミーは留守番のメッセージを聞くたびにストレスになっていった。
これは、一回話さなければ、判らないのだと気がついて遂にマミーはイルゼさ
んに電話を掛けた。
「何か重要な話があるそうだけど、何?」
「だって、そうでしょう、貴女の態度がおかしいじゃないの」
「判らないのなら、言うけどね、友達だと言っておきながら、私の事はSAR
Sに疑うわ、日本と香港、中国がみんな同じだと思っているわ、無知にも程が
ある。それに、うちに置きっ放しのオーブンパンを返せっていうのは、SAR
Sに疑ったら、ここには何も置いておきたくないという事?」
「だって、ジョージがステーキを食べたいというのであのオーブンパンが必要
になって・・・」
「へー、イルゼの所はこの2年間ステーキを食べなかったという事?
大体さ、この前ベースボールヤードで私が新聞に載ったから有名になって忙し
い?なんて、意地悪な物の考え方をするのよ。新聞にのったぐらい、大した事
じゃないのよ。私は日本の新聞にも雑誌にも山の様に載っていたから、こんな
事で変るような人間じゃない。」
「じゃ、どうしたら機嫌直すの?」
「放っておいて。その内に機嫌が治るかもしれないし、治らないかもしれない。
放っておいて」

その後、イルゼさんから手紙が来たけれど、また、マミーを怒らせた。
手紙は全部主語が「イルゼ」で始まる変な手紙で「イルゼは悲しい。イルゼは
淋しい。イルゼは。。。」という60歳を過ぎた人の手紙とは思えない、不気
味なものだったんだ。
その後も2日おきに電話が掛かってきて、マミーはこれはハラスメントだ、と
ダデイにも言っていた。
その内に、イルゼさんは引越しをしてミシガンの家に住むことにしたようだ。

あれきっり、僕たちもイルゼさんには会っていないよ。
人間は難しい。特に僕のマミーのように滅多に怒らない人が怒ると、大変なん
だ。
だから、ダデイもなるべくマミーとは喧嘩しないようにしているし、僕もチチ
もマミーを怒らせないようにしているよ。本当に、人間は複雑でクダラナイな
あ。人間は本当に馬鹿だ。と、僕は思う。


つづく(次号掲載は8月29日を予定しています)